普通の幸せがほしい?
いや、普通の幸せではなく、もっと普通以上の理想的な幸せがほしい?
日曜日に過ごした家族時間で、少し普通の幸せについて考える時間があったので記録しておきます。
今日はつれづれなるままに日記を書きます。
#完全なハズレ回です。
普通の幸せって難しい
僕は小学生のころからとりあえず何不自由なく育ててもらってきました。
実家は自営業で裕福な家庭だったと思います。
勉強成績はなかなか良くて、進学について特に困ることもありませんでした。
友達関係も良好で高校・大学と進学。
それなりに恋愛もして、就職活動には失敗したけど、今の奥さんと結婚して普通の幸せの道をたどってきたと思います。
#今振り返るとね
もちろん仕事についても、結婚生活についてもそれなりに波乱万丈があって、今を生きています。
そして40歳。
人生も折り返し地点となってくると変化もたくさん起こります。
ここで普通の幸せって難しいと思うんです。
父の死
近しい人として祖父や祖母が亡くなりましたが、去年父が亡くなったときはショックでした。
治らないと診断される病気になったときから、それなりに覚悟もしていたつもりでしたが想像以上でした。
順番として親が子より先に亡くなるのは自然の摂理です。
仕方がないと考えれば普通のことです。
ただ、自分ごととするととても悲しい出来事で、もう二度と会うことはできないし、話すこともできない。
こんな苦しい気持ちをずっと感じるんだろうなと思っていました。
でも、時間が解決することもあって父のことを思い出しても、あの時の苦しい感情は薄れてきました。
誰しも通ってきた感情です。
後で振り返れば普通と思えるときがくるんです。
ただ、自分の子どもが先に亡くなってしまった人もいます。
自分が今子どもを育てる父としての気持ちで考えると、こんなに苦しいことはないだろうなぁと想像してしまいます。
誰かの死はいつだって悲しくて、普通とか普通じゃないとかそんなことは関係ない。
それでも自分の子どもにだけは僕より1秒でいいから長生きしてほしいと願うんです。
会社での立場
僕は年功序列や社歴の長い短いで人を評価する会社は嫌だと考えてきました。
結果を出すからその分評価してくれ。
そんな気持ちでひたすら営業として仕事を取ってきました。
でも40歳の節目にきて、僕の後輩で年下の社員(違うセクション)が、僕よりもちょっといい管理職になったんですね。
これもまた少しショックでした。
後輩に先を越されること、僕が会社で頑張った先の限界ライン。
そんなことを想像するようにもなってきた。
結局年功序列や社歴といった物差しで測っていたのは僕だったことにも腹立たしかった。
普通の生活が送れるくらいの収入を会社は提供してくれているし、僕も会社に還元していると思えています。
仕事も楽しい。
だけど、、自分の限界点が見えてくる未来はやっぱり苦しくて、一度の人生と考えると普通以上を想像したりします。
それとは逆に一生ある程度の収入で不自由なく生活することが、普通の幸せでもあると考える自分もいます。
普通っていったいなんでしょう?
普通なんてないんですけどね。
家族の悩み
誰だって多かれ少なかれ悩みを抱えています。
それは僕も同じ。
大きさはどうあれ悩みはある。
だけど、持ち前の楽観性というか嫌な現実から逃げているのか。
あまり深く考えずに悩みを緩和しています。
子どもが普通に高校にいって、普通に大学にいって、普通に結婚して、普通の幸せをみつけてほしい。
親の願いです。
もちろんこんな普通が叶わない家庭もあって、それが不幸かといったらそんなことはありません。
ただ、親として自立した大人になってほしい。
僕よりも少しでも長生きしてほしいんです。
自分の健康
健康診断ではメダボ予備軍の診断を受けています。
血圧も3回目下がりましたが、1,2回は高い数字。
自分の健康だっていつ崩れるかわからないんです。
40歳の僕よりも若くして亡くなっている方もいる。
長く生きたから不幸なわけでもない。
残された家族が不幸なわけでもない。
可能な限り長く生きていたいし、孫の顔もみてみたい。
そのためには健康を維持する努力をしなければいけないんですね。
普通の高齢者になれる保証なんてどこにもなくて、いつ崩れるか分からない普通の上でみんな生きています。
だから、いつどんなことがあっても早く亡くなっても、不幸だと思われないだけの濃度で生きたいなあとも思います。
まぁとりあえずは食べ過ぎないようにして、健康管理を続けることが普通の可能性を高めるので注意が必要ですね。
おふくろの味
ひさびさに娘と一緒に実家に行き母に会いに行きました。
「美味しいチェリーが届いたから取りにおいで」
そんな理由です。
ついでに家族みんなで夕飯でも食べに行くか、それとも息子が期末試験で大変なので娘と2人で行くか。
「まぁ、とりあえず夕方取りに行くよ」
迷った挙句に娘と2人で行ったんです。
そうしたら母は僕ら全員のご飯を作ってくれていたんです。
家族みんなで行くかどうかもわからないのに。
僕の好きな生姜焼きや魚のフライなど。
「時間かかったろうな」と思えるようなご飯を作って、持って帰るように作ってくれて。
「みんなで来ればよかった」「申し訳ないな」と思う気持ちと「やっぱ美味いな」と思う気持ちで胸が少し熱くなりました。
普通の幸せってのはよくわからないけど、美味しいおふくろの味を久々に感じて普通の幸せってのはその辺にも転がってるなとふと感じました。
今度はゆっくりとご飯を食べに行こうと思います。
普通の幸せって難しいけど普通の幸せはそんなに難しくない:さいごに
普通の幸せって難しいと思ってました。
人生なんて普通に悩みなく生きている人なんかいません。
でも、色んな大変なことがあっても、過去になればそれなりにどうにかやっていたりします。
そう考えると大変な過去も過ぎ去れば、いつからでも普通は作れるんじゃないかと。
幸せはつかめるんじゃないかと思うんです。
案の定、支離滅裂な一筆書きとなりました。
普通の幸せって難しいけど普通の幸せはそんなに難しくない。