はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
記憶という言葉で1番最初に思い出すのはいつもあの瞬間だ。
娘の手が離れていく。
あの瞬間。
記憶の中で最も強いのは恐怖であると勝手に僕は思い込んでいる。
あの日あの時の恐怖を僕は忘れることはないだろう。
娘の手が離れていく・・
あれは娘が幼稚園の年長さんだった頃の話だ。
いつもよりも奮発して夏の旅行に2泊3日。
ウォータースライダー付きの室内プールがあるホテルに泊まった。
子どもが旅行で嬉しいのは観光地なんかじゃなくて、ホテルで親と一緒に遊ぶことだと僕は勝手に思っている。
小さい頃の僕がそうだったから。
親と一緒に行く旅行先でプールや卓球ができたら最高だった。
だから僕も旅行に行くときにはホテルが楽しい場所を選ぶようになっていた。
娘は当時まだ全く泳げなかった。
幼稚園のプールだけではなく、近所のプール教室に連れて行ったのだが一向に上手になっていなかった。
その点親がいれば安心だ。
足がつかないようなところでも近くにいれば助けられる。
だから、ホテルに着くや否や僕ら4人(お兄ちゃんと妹、僕と奥さん)は真っ先にプールに向かった。
そこで目の前に現れたのはウォータースライダーだ。
回転してトンネルをくぐるような長いウォータースライダー。
まずはお兄ちゃん(小3)と一緒に滑ってみる。
スライダー専用のソリみたいなものがあり、2人で乗る。
ソリはウォータースライダーとの摩擦を減らす。
とにかくスピードが出て、怖いくらいだった。
僕はお兄ちゃんを抱えながら乗ったのだけど、終わったころお兄ちゃんはもう半べそで「もう滑りたくない」といったほどだ。
せっかく奮発したホテルだっただけに、子どもたちを喜ばせたかったしもっと楽しみたかった。
だから、次はソリには乗らずに滑ろうと決めた。
一旦お兄ちゃんは休ませて、次は娘と一緒に乗ることにした。
ウォータースライダーの入口。
ソリには乗らず、娘を僕の股の間に挟んだ。
少し前に進まないと滑り出せない。
摩擦が多くソリを使わないと滑りが悪いのかもしれない。
娘を股に挟み、少し前に出ようとした。
その時だ。
娘が股の間から抜け、滑り出してしまった。
娘が振り返る。
手を伸ばす。
僕も手を伸ばす。
指先が娘の小さな指先に触れ、かすめながら娘の手が離れていく。
娘の目と僕の目が合い、離れていく。。
ヤバイ!!
娘は勢いよく滑り始めた。
僕は必死で追いつこうと手をバタバタさせながら、滑り出そうとするが思うように滑らない。
摩擦が多いのか。
進め!
進め!
必死で手を動かせば動かすほど前に進まない。
何秒経っただろうか。
娘の姿は見えない。
急げ急げと思いながら、滑り始めるが勢いが出ない。。
僕は必死で動かしていた手を止めた。
摩擦が少ない方が早く滑るかもしれない。
この時の姿を想像して欲しい。
娘がウォータースライダーから一人で滑って、大丈夫か心配なのに「気を付け」の姿勢でウォータースライダーを滑る父の姿を!
あんなに恐怖を感じた瞬間はない。
なのに、この滑稽な自分の姿のギャップに僕はただただあきれていた。
ザブン!!
長い長いウォータースライダーが終わり、水の中に勢いよく僕の身体が飛び込む。
「○○ちゃん!大丈夫か」
辺りを見回す。
いつもメガネをかけている僕は裸眼ではよく見えない。
こんなところも滑稽だ。
心臓がバクバクいっている。
!!!!
娘と奥さんとお兄ちゃんが僕の方を見て手を振っている。
娘は普通に奥さんの所までいっていたようだ。
よくよく立ってみると水深は僕の胸までもない。
娘の足がつく程度の水深である。
娘に近づき声をかける。
「大丈夫だった?」
「うん!」
無邪気なその笑顔にほっとして手をつなぐ。
そのやわらかな手を握り、かすめた手の感覚を思い出した。
恐怖の記憶は最大の思い出になる
あの時の恐怖感は今でも忘れません。
でも、あの時の記憶こそが僕と娘の最も楽しかった思い出になっています。
離れた手と手。
繋いだ手と手。
あの感触を僕はきっと忘れない。