一日中家にいると家族は暇そうな様子。
雪が降った後ということもあり、車で出かけるのは今日はやめておこうと。
僕は僕でパソコンやスマホがあれば楽しくて、ブログをずっと書いていたい。
家のことは、必要な仕事は全部やるから。
ご飯を作って、アイロンがけをして、だからブログを書かせてもらおうとしていたんだけど、やっぱり暇そうな様子。
自分一人で遊び方を見つけることがなかなかできないみたいだ。
娘は特にお父さんと遊んで欲しかったんだろうな。
わかってはいるけど、僕はブログが書きたい。
そんな感じで時間を過ごしてたら、あっという間に一日が終わってしまう。
僕もブログに疲れてうとうと。
家族でダラダラと過ごす時間。
僕はそれでそれで好きだったりする。
でも、、娘は退屈だったみたいだ。
軽く昼寝して、奥さんから話しかけられているときに娘も同時に話しかけてきた。
いつもそうだ、話していると割り込んできて、すべての話がわけわからなくなってしまう。
「ちょっと待って。お母さんと今話しているから」
・・・・・・
「お父さんは話を聞いてくれない!」
いつもパソコンばっかりで私のこと全然見てくれないって言葉が伝わる一言を食らった。
なんか苦しくなっちゃった。
たしかに「遊ぼう!」っていわれても聞き流して、自分の好きなことばかりやっていた気がする。
娘は自分の話を聞いてほしかっただろうし、僕とトランプをしたり、ゲームをしたかったりしたんだろうな。
それは、遊んでほしいというのもそうかもしれないが、お父さんである僕と遊ぶのが楽しいということの裏返し。
それがわかっていながら、僕は僕のことばかり考えていた。
なんか苦しいね。
そのあと、「イヌの散歩でもいこうか」って声をかけたけど、「行かない、何話したらいいかわからないし」といわれた。
これは完全に自業自得。
もう少し大人になってしまったら、本当にこんな時間は作れないし、後悔するかもしれないなと思ったんだ。
僕は文章を書くことが今楽しくて仕方なくて、なんでもいいから書いていたい。
だけど、そんな自己中でいたら大切なものを失ってしまいそうな気がした。
話を聞いてくれないお父さんtって多いんじゃないかな。
物理的に仕事が忙しくて、家族とすれ違いという人も含めて。
でも仕事だから仕方ないって僕は言いたくなくて、仕事は必ず定時に切り上げて家族の時間を作っている。
でも同じように自分の時間も欲しくて、家族を疎かにしているときもあったみたい。
Dカーネギーの「人を動かす」を今読んでいる。
そこには「人は自分が重要な存在であることを認めてほしい」と書かれている。
心から相手を褒めること、相手の興味をもっていることを話すこと、話を聞くこと。
これらが大切だと。
本当にもっともな話で、僕は自分の話したいことばかりを話していたような気がする。
僕が興味のない話を聞く気もなかったと。
娘が僕と本当に話をしなくなってしまう前に、娘と向き合わなきゃなと本気で思った。
いつもそうやって思っては面倒くさがってを繰り返しているんだけどね。
僕はパソコンの手を止めて、娘と2人でトランプを1時間ほどした。
子どもの頃からずっとやっているセブンブリッジでは5勝6敗で負け越してしまった。
なぜか僕そっくりで死ぬほど負けず嫌いで、頭が使えるからトランプも強い。
本当に楽しそうで、そして僕もまた楽しくて、こんな時間をちゃんと作りたい。
「お父さんは話を聞いてくれない!」
嫌な言葉だ。
でも、この嫌な言葉を受けたことで気づかされることもある。
もう二度と聞きたくない。
もっとしっかりと向き合わないとね。