毎日毎日決断を求められます。
仕事の責任ってのはこういうところなんでしょうね。
部下からの報連相を受けて、どうすればいいか求めらることがたくさんあります。
その都度その都度、僕は部下に指示を出しています。
そしてちょっと疲れてしまいました。。
決断しまくる毎日にはちょっと疲れるが成長痛と考える
ここのところ決断しまくってます。
でも、それを成長だと考えたい!
そんなことできるだろうか。。
決断をするということ
決断することって結構疲れます。
部下から相談されることっていうのは、部下にとってはどの選択が正しいかわからないから相談してきているわけです。
いくつか選択肢を絞って、「AパターンとBパターンがあって、こうこうこうだからAパターンがいいと思いますがよいでしょうか?」と持ってくれば、自分の過去の引き出しから比較して、「Aがいいね。Aで進めよう」って決断するわけです。
この選択肢すら浮かばない部下がいるので、そのときには選択肢から考えたり、考えさせるのにヒントを与えたりします。
んでもって、僕にもまだ何が正解がわからない問題も決断を求められることも多いんですね。
僕の上司にあたる人は経営者であって、僕が統括する管轄のことは僕に一任しているので相談することもできない。
だから、近い例がない場合も僕の過去の情報の中から、答えを決めないといけない。
そして、決断するまでの時間もまったくない。
やらなきゃいけない仕事はたくさんあって、部下も僕の答えを待っているから。
それが決断するということであり、責任者の仕事であるということなのでしょう。
決断は間違ってもいい、違ったら修正すればいい
決断が絶対あってなきゃいけないと思っていると責任につぶれるでしょうね。
完璧主義者が落ち行ってしまう事故です。
でも、僕は程よく適当。
決断は間違ってもいい、修正すればいいと思って決断しています。
わかんないことはわかんないし、やってみて違うと思えば修正していくしかない。
その繰り返しで正解にしていきゃあいいんです。
とはいえ、決断する時にどうしても迷ってしまうので最近はお疲れ気味。
迷うことって一番精神使うかもしれません。
逆のほうがいいかもって不安になっちゃいますからね。
まぁ、でも成長痛だろこれは
この疲れも成長痛だと思っています。
決断を繰り返すうちに、僕の中にさらに情報が蓄積されていきますから、もっと早く決断できるようになってきます。
迷いもなくなってくるはずです。
迷ってしまう間には多少痛みが伴う。
成長するためには痛みは伴うんです。
これも成長痛ととらえて、明日からもバンバン決断してこうと思います。
さいごに
ちょっと仕事の責任が重くなって疲れるなーなんて思ってましたが、ただの成長痛でした。
まだ決断するための情報が足りない時に迷ってるだけです。
もっともっと決断する機会や難しい課題が増えれば増えるほど、情報量が増えて迷いもなくなっていくと思います。
そうしたら疲れないし、決断力もさらに身についていきます。
そんな風に考えていると、難しい課題だらけの毎日も悪くないんじゃないかなって気がしてきた。
というか、そういうことにしてがんばります!