2年半前に行ったお祭り。
娘が小2だった頃からかな、金魚を飼い始めたのは。
西日暮里の方にある結構大きなお祭りにいって、子どもたちに1000円ずつ好きに使っていいよとお金を渡した。
そこで、当時小2の娘は金魚すくいをやったんだ。
僕は金魚すくいって本当に難しくて苦手。
娘は少しとれたんだっけな?
全然とれかったんだっけな?
ああいうお祭りでは、うまく取れなくても1、2匹くれたりするんだよね。
どっちか忘れてけど、袋に数匹金魚を持って帰ることになった。
いきものを買うのは割と好きで、金魚を飼う前には川で捕まえたメダカだったり、カブトムシだったり、オタマジャクシだったり、毎年何かを飼っていた。
今は柴犬のももちゃんが僕たちの家族だ。
カブトムシは冬を越せないから、大体秋口に死んじゃうんだけど、公園にお墓を作りに行こうって土の中に埋めたこともあったね。
カブトムシのかっちゃん。
旅行に行ったときに息子の服にくっついたのを家に連れ帰ってさ。
「ここに埋めれば、公園に来たときにいつでも思い出せるし、ずっと君たちが遊ぶときには一緒だからね」
そんな風にいって一緒にお墓を作ったね。
その1年後、その公園は掘り返して大規模リニューアルをされちゃったけど。。
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これまでも金魚すくいで捕まえた金魚やめだかを飼ってきたけど、すぐに水が汚れてしまってすぐに死んでしまった。
餌でもそうだし、いっぱいいてもダメだし、カルキもダメだし、空気の供給も必要。
なかなか金魚は買うのが難しい。
カブトムシのかっちゃんのいた虫かごを水槽にして、祭りの金魚を数匹入れた。
一応カルキ抜きやえさを飼ってきて、娘が飼育係になった。
必ず毎日餌をあげて、水が汚れてきたら水槽を洗うんだ。
それでも、1匹。
また1匹と金魚は死んでいく。
公園ではなく、ウチの家の裏の土に埋めてお墓を作った。
だけど、そんな風に生きてきた金魚のうち1匹は死ななかった。
秋口のお祭りから冬を越えて春になっても生きていた。
娘に長生きしているから名前をつけてあげようといったら、娘は少し考えて「アキちゃん」といった。
赤(あ)い金(き)魚だから、アキちゃんだそうだ。
娘らしい。
そんなこんなでアキちゃんは広い虫かごの中で1匹生き続けた。
水がすぐに汚れないのがよかったのかな。
エサは一人で独占もできる。
金魚にしてはどんどん大きくなって、5cmくらいの大きさになった。
そして、とうとう2年半もの間アキちゃんは生きてきた。
つい先日水が汚れていたので娘が水槽を洗った。
綺麗になった水の中でアキちゃんは今日も優雅に生きている、はずだった。
娘がお風呂上りにアキちゃんにエサをあげるルーティン。
そこで、下から「え!?」という声と娘のすすり泣く声が聞こえてきた。
階段を上ってきた娘にお母さんが声をかける。
「どうしたの?大丈夫?」
「金魚が・・」
僕らはそれを聞いて、1階にいる水槽を覗き込んだ。
赤かった金魚のアキちゃんは白くなって水面に浮かんでいた。
昨日までは元気だったんだ。
命は儚い。
命あるものは必ずいつか尽きる。
祭りの金魚すくいで救った金魚が2年半も生きたことが奇跡でもある。
ただ、どんな状況でもお別れは悲しい。
金魚でもこんな思いをするのだから、柴犬のももちゃんだったり、身近な人が亡くなったときの喪失感を思うと胸がしめつけられる。
そして、僕らもまたいつか命が尽きる。
親父がなくなったときの悲しさを思い出した。
そして、1周期で住職の語った言葉を思い出した。
「親死ぬ子死ぬ孫死ぬ」
親→子→孫の順で死ぬことほどめでたいことはない。
僕らが金魚のアキちゃんを見送ることは順番だったんだ。
悲しいけれど長く生きてくれたことを感謝したほうがいい。
雨が止んだらまた土に返そう。
そうしてまた命は循環していく。