「みんな違ってみんないい」なんていいますが、日本人はみんなと同じになりたがる人が多いですね。
学校教育がそうなのかもしれません。
みんなを平均的にするような教育が公立の学校教育です。
その結果、みんなと同じでなければ不安になったり、目立ちたくない気質の子どもが増えてきます。
だけどどうだろう?
みんなと同じでいいのかな?
みんなと違った方がいいんじゃないかな?
でも、ここはみんなと同じ方がいいんじゃないかな?
結局、時と場合に合わせて行動できる人が強いんですが、ごちゃごちゃになっている子どもも多いと思うんです。
そこで、「みんなと同じ」について、考えてみましょう。
みんなと同じってどういうこと?
みんなと同じであることはメリットとデメリットがあります。
確認してみましょう。
みんなと同じメリット
みんなと同じメリットをあげてみます。
- 多数派でいられる
- 問題が起こりにくい
- 失敗が少ない
- 恥ずかしくない
- 時と場合に合わせる力がつく
子どもであれば、親からすると問題が少ない方がありがたいと思ってしまうかもしれません。
問題が少ない方が楽ですし、学校からも何も指摘されません。
みんなと同じ中で目立つ目立たないはあれど、あまり大きな差にはならないんでしょうね。
みんなと同じデメリット
- 個性がなくなる
- 自分の強みがわからなくなる
- 少数派になった時恥ずかしいと思ってしまう
- チャレンジしなくなる
みんなと同じじゃなきゃいやだとなると、個性がなくなってしまう危険性があります。
「みんなやってないから」という理由で、逃げ癖やチャレンジ精神を失うこともあるんですね。
みんなと同じでいいこと
社会において、一般的にできていることが標準となることに対して、できていないケースは個性とはいえません。
例えば、箸の持ち方が変であることは個性ではありませんよね。
大人になって九九がいえないことも個性ではない。
みんなができていることができないことはできるようになった方がいいです。
大人はそんな嗜みやマナーで判断されることがあり、損をする場面も少なくないからです。
ここで「〇〇もできてないよ」とできない人を基準に答える子どもがいます。
これは、できていない(自分より劣っている)人を見て安心してしまっているだけです。
都合のいい時だけ少数でも仲間を探していては成長できませんよ。
みんなと違っていいこと
みんなが手をあげないから自分も手を上げない!というようなことって意外とあるあるです。
周りの環境に流されてしまうのは日本人の性といえるかもしれません。
絵や工作にしても
みんなが作るものと同じものを作っても光りません。
ここら辺は横並び教育の弊害で、みんなと違うと恥ずかしい、目立ちたくないという気持ちが芽生えてしまうんですね。
選挙にしても、なんにしても多数決を割と使う場面も多いのが日本。
しかし、多数決は責任から逃れるための対策であることも多いんです。
オリンピックのエンブレムを国民投票で決めたら、うんこみたいなのが選ばれる可能性もある。
みんながこれがいいと決めて失敗したら、みんなが決めてからと失敗した理由を作れるんです。
少数派だとしても、自分の信念に反するなら自分の意見を言えるような大人に子どもたちにはなってほしいものです。
なんでもいいからひとつ自信を持とう!
なんでもいいからひとつだけ、自信の持てることを作りましょう。
これだけは誰にも負けない!ってこと。
ブログでもいいし、絵でもいい。
たくさん本読んだことでもいいし、ピアノが弾けるならピアノでもいい。
何か自信を持てることがあれば、周りと違う行動をしてもなんとも思わなくなる。
そんなことみんなやってないからって言われても、自分の信念を持てる。
自信は得意なことに裏付けされているから、得意なことを作るといい。
さいごに
みんな違ってみんないい!
日本人が弱い感性です。
ただ自分に自信が持てると、周りの目を気にしないで行動できるようになります。
何かひとつだけでいいから誰にも負けない何かを作りましょう。
みんなと違っていても気にしなくていいんだからね。