子どもたちに最近「怒っている」といわれます。
自分としては起こっているつもりはまったくないのですが、怒っていると感じてしまうようです。
何で怒っていると思われてしまうのでしょうか?
これは僕にとっても損ですし、子どもたちにとっても気持ちの良い状況ではないはずです。
そこで怒っているわけじゃないのに怒っていると思われてしまう理由について考えてみます。
怒っているわけじゃないのに怒っているといわれるケース
最近、子どもたちに怒っているわけじゃないのに「怒っている」とよくいわれます。
なぜこんなことが怒っているのかまずは事例を思い出してみます。
中3息子の自転車事故
これは今日の話なんですが、中3息子が自転車で転びました。
花壇に突っ込んだらしく、擦り傷や打ち身でけがをしたんですね。
話を聞くと、塾の帰りに土砂降りの雨が降っていて、急いで帰ろうとしていたようなんですが、ブレーキをかけたらスリップしたとのことです。
昨日から今日は雨が降りそうなのは分かっていました。
でも、夕立のような感じで雨が一時的に降っても、すぐやむような雨となりそうな予報でした。
だから、伝えていたんです。
「明日は土砂降りの雨が降るかもしれないけど、自転車危ないから雨が凄く振っていたら塾で雨宿りしてから帰っておいで」と。
それなのに、土砂降りの雨の中急いで自転車で帰ろうとして転んだわけです。
ケガをしているのでねぎらう。
でも、その懸念があるから雨が降ったら、ちょっと待つように言っていたわけです。
その指示を無視したわけですから、注意が必要と思います。
「雨が降っているときに自転車でスピード出したら危ないことがわかったでしょ。雨宿りするように言ったよね。気をつけないとだめでしょ」
こんなことをいったら、「俺が全部悪いの?そうやってすぐ怒らないでよ」といわれたんです。
こちらとしては怒りの感情なんて一ミリもなくて、「注意したことを守らないと事故るよ」ということと、「次からは指示を守って気を付けて」と伝えているだけなんです。
でも、子どもとしては「怒っている」と感じてしまったようです。
犬のトイレを替えない娘
犬のトイレを替えるのは娘の役割です。
犬がおしっこをしたことに気づかないといけないし、仮にきづかなかったとしても指摘されたらすぐに取り換えないといけません。
それはゲームやドラマを見ていたとしても、中断してでもやらないといけないことです。
それが犬を飼うときの約束でもありましたし、話し合って決めた役割分担でもあるからです。
しかし、その役割を娘は怠ります。
100歩譲っておしっこをしたことに気づかなくても、指摘されたらすぐにやらなければなりません。
実際には指摘したのに取り換えず、何回も言われてもやらない。
そして、こちらがイライラして取り換えようとしたときに、「私がやるよ」っていうんです。
そこで「遅いよ、○○ちゃんがすぐにやらないといけないんだよ」というと、「そんなに怒らないでよ」というんです。
娘は怒っているように聞こえているんですね。
僕は多少ムッとして口調はきつくなっているかもしれませんが、感情的に怒ってはいないんですけどね。
怒っているわけじゃないのに怒っていると思われてしまう理由
2つの事例で「怒っている」と子どもたちは感じているようです。
感情的にはなっていないんですけどね。
なぜこんなふうに思われているのかを考えてみました。
知らぬ間に口調が厳しくなっている
感情的に怒っていなくても、口調は知らぬ間に厳しくなっている可能性があります。
これは僕が管理職として、部下を注意することが多いことに紐づいているかもしれません。
会社でも厳しく注意することはありませんが、間違っていることは指摘し、同じことが繰り返されないように注意します。
これは癖のようなもので、仕事している時間がやはり長いですから、染みついてしまっているかもしれません。
過去を咎めるつもりはまったくなく、次にどうすればいいかを細かく指示します。
この指示が命令的になってしまうのは否めませんね。
実際にはちょっとムッとしていることもあるか
感情的に怒っているつもりはありませんが、同じ失敗をくりかえされるとイラっとはしますよね。
何回いっても犬のおしっこをとりかえてくれないし、時間の管理をできない娘には口うるさくいってしまいます。
基本的には同じ失敗を繰り返すなんてアホだと思いますからね。
会社では同じミスを繰り返し続ける人にはチャンスが与えられなくなります。
でも、家は会社じゃない。
だから、注意されてもチャンスが与えられてしまう。
そうすると同じミスは何度も発生するんです。
ここにはイライラしているので、感情が入ってしまっているかもしれません。
イライラはきつい口調に繋がっているのでしょう。
仕組みでこの同じミスを繰り返すことはつぶさないといけないなぁと今実感しています。
注意=怒ると解釈している
子どもたちはまだわかっていないんでしょうね。
注意=怒るじゃないのに、注意=怒るであると。
こちらとしては「同じミスをくりかえさないで」といいたいだけで、どうしたらそのミスを繰り返さないようにできるかを伝えているだけです。
根拠をつけて論破されると逃げ場がなくなってしまうので、怒っていると感じてしまう部分もありそうです。
注意=怒るじゃないので、ここは伝え方をもう少し工夫したほうがいいなと感じました。
さいごに
怒っているわけでもないのに「怒っている」と思われるのは心外ですが、子どもたちには怒っていると思われていたようです。
子どもたちの解釈の問題と、厳しい口調が大きな理由となっていそうです。
どちらにしても怒っているわけじゃないんです。
同じミスを繰り返さないで欲しいだけなんです。
もっと生産的に子どもとも話し合えたらいいなと思いました。
そのためには、子どもにどうやったら同じことが起こらないかを指示するのではなく、自分たちで対策を考えてもらうのもいいかもしれません。
明日からは子どもたちにも考えてもらうように仕向けてみようと思います。